BOSTON Report ※このページ関連の写真はリポートの下部にアルバム掲載してます。
遊覧船に乗船
フィラデルフィア 6/28〜6/30
フィラデルフィアでのレポート
Philadelphia レポート Vol.1 6月29日 Am10:00
今、こちらは29日朝の10時、ホテルのレストランで朝食を済ませてきたところです。ホテルのレストランでちゃんと食事をするのはシカゴ以来です。ここでは日本のホテルと同様バイキグ方式で「これなら僕で もOK!」と張り切りました。何せ昨晩は到着が遅くてほとんど食べずに空腹を抱えて眠ったからです。
ハンバーグ風ビーフ、ベーコン、じゃがいも、フルーツなどのほか、コックさんがタマゴをオーダーに応じて焼いてくれます。僕はスクランブル・エッグをオーダーしコックさんの前にあるマッシュルームなどを皿にとりました。 ところが、これは生で焼き物の材料、食べてはいけなかったのです。それをあとで気がつき、今、部屋で正露丸を呑んだところです。とんだ失態でしたが、ウエィターたちは見てみぬふりをしていたようです。 これから、ガイドブックをチェックし街に出ようかと思います。従って、街角リポートは今晩の送信。
では、レ ストランの名物シェフの絵を添えてフィラデルフィアvol.1をおくります。from Neel.Okada
Philadelphia レポート Vol.2 6月29日 Pm6:00
現在、6月29日(金)午後6時。早速、フィラデルフィア・リポート第2弾を。
”フェデックスでフライト・チケットが届きました”
午後、シカゴの光安君からフェデックス(エアメール宅急便)でニューオリンズ行きフライト・チケットなどが届きました。チェックした後、彼にコレクト・コール。ニューオリンズからメンフィス行きアムトラックのチケットを追加オーダーし、ニューオリンズのホテルへフェデックスへ送ってくれるよう依頼したところです。すでに彼のことは紹介済みですが、彼の存在抜きに今回の旅行は考えられないくらいお世話になってしまいました。メンフィス以後、バスで移動するためのタイムテーブル、停留所の住所地などすべて用意、チケットに同封してくれたのです。彼がSIU本校に在学中にたまたま僕らがライブを行った、それだけの縁なのです。
”合衆国誕生の地”
このフィラデルフィアという街は、1682年、イギリスのクェーカー教徒・ウイリアム.ペンにより創設され、合衆国誕生の地としても有名です。自由、平等、博愛をうたった独立宣言がなされたのもこのフィラデルフィアなのです。御存知でしたか?1776年宣言が採択された、とガイドブックにありますが、この独立にあたって星条旗を縫ったのがベッツィ・ロス(ベッツィ・スミスでもダイアナ・ロスでもありません)という女性で、彼女の住んでいた家がすぐ近くにあり観光名所にもなっています。
朝食後、早速その家に行ってきました。200年余り前の家なのですが、入ったとたん眩暈を感じてしまいました 。小学生の頃「野口英世の家とか見学したときと同じような感慨を覚えた」と言ったらわかっていただけるでしょう か?わかんねーだろうなー。
”ギター・ショップで”
ロスさんの家からアーチ・ストリートを西側へ8ブロック、30分ほど歩くと11stにでます。ここでギター・シ ョップを見つけ、迷わず入りました。(ニューヨークのブロードウェー以来です)
フェインダー、ギブソン、マーチン何でもあります。カーボンデールとはえらい違いです。いいものはどこでも高価なものです。
ここで、珍しいフェンダー社製のエレ・アコを見つけ値段を聞きました。(価格表示のないギターが多いのです)若くて気さくな店員はしばし考えたあと「$250」とこっそり教えてくれました。僕は「試奏してもいいか?」とたずね「OK」をもらってから、いつものあの曲のイントロを弾き始めました。2週間ぶりの感触です。トラブル続きで音楽どころではなかった僕は水を得た魚のように、生き生きしました。このギター、弦高が高いのですが、音は軽く明るいサウンド、価格を考えればまあまあといったところ。一瞬「買おう!」と思いましたが、移動のことを考え思いとどまりました。店員に事情を話し「買えない。ごめん!」と伝え、店を出たのです。(「わたしバカよねー 」は”心残り”わかるなー?)と、もう夜の7時を回りました。次回をお楽しみに。See you ! bye,bye. 29.6.2001/from Neel Okada
Philadelphia レポート Vol.3
今こちらは6月30日の午後1時15分。明日はチェック・アウト後エアポートへ行くのでゆっくりする時間はありません。そこで、朝食後9時過ぎるとすぐに街へ出かけました。
”エルフレス小径”
1728年から1836年にかけて建てられた古い家が30軒がほど立ち並ぶ小径。現在も人が住んでおり、時折出入りする姿を見かけました。ほんの小さなエリアですが、立ち止まってみるとアーリー・アメリカにいるような気分になります。カメラを持った二人連れの観光客に「テイク・マイ・ピクチュァー」と頼みテイク・ワン・ショット 。
”シーポートから遊覧船でクルージング”
エルフレスの小径から2ブロックほどでリバー・サイド(デラウエア河)に出ます。河に沿って南下するとシー・ポート・エリアを周遊する遊歩道がありシーポート・パークに出ます。パーク内を20分ほど歩いて「独立港博物館」前に来ました。入館料が$8、高いのでキャンセル。
ちょうど博物館前の船着場から遊覧船が出航することろっだったので慌てて切符売り場に駆け込みました。しかし入り口にはチェインがかけられ、ゲイト・スタッフは「次は10時30分出航だ」と。 30分ほど公園内をぶらつき入港を待って、10時45分ようやく”Riverlink Ferry”に乗船しました。ゆったり、心地よいブリーズに身を任せながら日光浴。20分ほどで対岸に着きました。「次の便は11時40分、ここへ戻って来てください」と乗務員が怒鳴っています。ここはニュージャージー州カムデン。「歩いてみようかな」との誘惑にかられましたが、そのまま乗船しシー・ポートへ戻りました。1時間足らずでしたが、素敵なクルージ ングでした。
このあと、300年の歴史を持つガーデンを通り街へ向かいましたが、ちょうどデジ・カメのメモリー・チップが満杯になりホテルに戻りました。では、シーポートでのスナップを添えてvol.3を送信することにします。 See you again ! bye bye. from Neel Okada
Philadelphia レポート Vol.4
早くも、フィラ・リポート第4弾。もっと早く気づくべきでしたが”PHILA”はフィラデルフィアの愛称なのです 。vol.3でも伝えましたが、ここシー・ポート、ヒストリー地区はアメリカン・ヒストリーの宝庫。カメラマンよろしく朝からシャッターを押しっぱなしで、もう160枚も撮り、メモリー・チップは2枚目に。
”B.フランクリンと18世紀の庭”
昼前に引き続き、ヒストリー地区を歩きました。あのベンジャミン・フランクリン(凧で稲妻が電気だということを発見した人物。「わっかるかなー、わかんねーだろーなー!」)の記念館があり、飛び込みました。涼を求めて入ったこともあるのですが、クーラーが効きすぎ。ランニングの僕には耐えがたく、20分でエスケイプ。周囲には当時の服装をしたスタッフがサービスに勤めています。僕も、エプロン姿のお嬢さんとツー・ショット。 隣接するガーデンが古めかしく素敵なのです。200年以上も前に造られ、そのまま維持管理されてきたものです。ボストンで見たものとは、また違った趣があります。
”Hard Rock Caffeでビールを2杯”
心を残しながらマーケット・ストリートを西へ。13stであの”ハード・ロック・カフェ”を見つけました。一旦は通り過ぎたのですが、通りへ漏れてくるサウンドに惹かれて重いドアを押し中へ。 中は薄暗く、目が慣れると高い天井と壁一面に飾られたギターやゴールド・デスクに圧倒されました。フタッフに断わり2,3枚スナップを撮らせてもらいカウンターに座りました。ちょうど目の前がZZトップのコーナーで、ビリー・ギボンズのサイン入りストラトが壁に掛けてありました。
昼飯直後だっだにもかかわらず、ついついビール&フライド・ポテトをオーダー。1時間余り粘って店をでたのですが、昼下がりのアルコホールは効きます。ふらつくほどではないのですが、心臓の鼓動が聞こえてきます。ま だ6時前なのですが、ホテルへリターン。”It's been a hard day's night"と思わず歌ってしまうくらい疲れました。添付ショットはこのハード・ロック・カフェのもの。
6:20pm 30.Jul.2001 from Neel Okada
Philadelphia レポート Fire!
たった今しがた、火事騒ぎがあったのでリポートを。
10時半過ぎでした。テレビではK.コスナーの”アンタッチャブル”が終わったばかりでしたから、そのままつけっぱなしでP.Cを打っていました。突然、ジーという音がします。外は雷鳴が響いており、風も出てきていました。テレビを消しても音は消えません。バス・ルームをのぞいて見ましたが異常なし。そのうち廊下が騒がしくなり、僕も恐る恐るドアをあけてみました。すると廊下の非常灯が点滅しているではありませか。丸腰の僕はカード・キーを持っていませんでした。危うくドアが閉まりそうになり、短い足を伸ばしました。何とか部屋に戻り、貴重品の入ったウエスト・ポーチをつけ、他の客と一緒に非常口に。ホテルの周りには、すでに非難していた人たちでごったがいしています。消防車も着ています。ちなみに、ホテルの斜め前はフェイア・デパートメントで始終サイレン(?)の音が聞こえていました。
結局、エレベーターのトラブルらしかったのですが、特に説明もないまま(聞いてもわからないのですが)皆さん部屋に戻ったようです。僕は、ウエスト・ポーチにデジカメ(デパカメではありません)を入れていたので、ついついシャッターを切ってしまいました。
ということで、火災騒ぎの現地レポートでした。ホント、何もなくよかった!でも今夜眠れるかな? まだ、サイレンの音が聞こえます。「怖いですねー」「怖いですねー」
Philadelphiaでの滞在期間で撮った写真はこのページ下部にアルバムとして掲載してます。