Carbondale Report ※このページ関連の写真はリポートの下部にアルバム掲載してます。
カーボンデール 7/9〜7/11
ナッシュビルからカーボンデールのレポート
グレイハウンドバスの旅 レポート(ナッシュビル 〜 カーボンデール 7/9/2001)
”またまた5時間半、グレイハウンドの旅”
深夜12時過ぎカーボンデール着!
とうとうやってまいりました。5時間半のバスの旅、終着駅はセントスイスで、そのひとつ前がカーボンデールになります。
9日夕方、一日ナッシュビルの街を歩き回ったあとのバスの旅です。ホテルから15分、バッグを担いだり、引っぱったりしてようやくバス・デポに着いたところで、ナネットから借りたバッグのハンドルが壊れてしまいました。 そして満員のデポで1時間余り待った後バスに乗り込みました。
チケットは朝のうちにゲットしておいたのですが、バッゲイジの申告をしてありません。(メンフィスから乗車したときは、バッゲイジを引いてチケット売場に並びましたから、一緒に手続きをすませてありました) だから、このバスのトランクにちゃんと収納されるまで窓から見ていました。ところがいつまでたっても僕のバッゲイジだけが路上に置いたままです。バスから降りた僕は、赤い服のスタッフにチケットを見せました。カーボンデール行きの荷物リストに僕の名前がなかったようで、一旦オフィスに戻った彼はバスサイドに戻るとバッゲイジに荷札をつけ、ようやくトランクに投げ込みました。
”隣席のロイさん”
定刻より10分ほど遅れてナッシュビルを発車したバスは一路セントルイスへ向かいます。途中5、6箇所でお客を拾うわけですが、最初の駅があの”クラークスビル”。覚えてますか”テイク・ザ・ラースト・トレイン・トゥ ・クラークスビルーーーー”と歌うモンキーズの「恋の終列車」?
ところで僕の隣の席はロイさん。僕と同年輩でしょうか、いろりろ話し掛けてくれます。が僕には7割くらいが” アイ・ドント・アンダースタンド”(神田さんみたいになりました)。
それでも、5時間余りの旅のなかで、これからアイオワへ行くこと、5日間だけ日本に滞在したこと、スペインや メキシコなどを旅したこと、そしてテキサス州ダラスの出身であることなどを聞きました。僕が「年を聞いてもいい か?」というと「52だ」と彼。「僕は53だ」と僕が言い、さらに「孫が2人いる」と。すると彼は「僕は3人い る」と答える。こんなやり取りをしながら、テネシー州からケンタッキー州へ、そしてイリノイ州へと旅は続きます。
国道を外れマリオンの街を通過したのが11時35分。ようやく、定刻より20分ほど遅れてカーボンデールへ着きました。「なか君が、ひょっとするとくみさん(彼女は2日前から風邪でダウンしているのです)も待っていてくれるかも」と期待しながら重いバッゲイジを駅の待合室へ運びましたが、日本人の姿は一人も見えません。停車時間を活用してトイレへ駆け込む人だけ。その中にロイもいました。
僕はナカ君に電話しようと小銭を探しました。こんなときに限ってクォーターがありません。途方にくれた僕は一旦待合 室を出ました。そこでやっと見つけました。金髪のナカ君を。 9:24Am.10.jul.2001.from Carbondale.N.Okada
※ 本当なら、ここで7年ぶりのカーボンデールの街とナカ君、くみさんのスナップを添付する予定でしたが、メモリー・チップがエンド。明日、モールでの買い物の際、買ってきます。では、たっぷり撮っ たナッシュビルでのスナップを添えて。
カーボンデールのレポート 7/10〜7/15
Carbondale report vol.1
In my life,I love you more.
”P.Ksもコーナー・ダイナも昔のまま”
カーボンデール着のリポートを入れた後、ナカ君やルーム・メイトを送り出し”思いで探し”に出かけました。ありました、みんな昔のままに。当時まなみが住んでいたアパートやコイン・ランドリー、コーナー・ダイナそしてP.Ksも。それから、 サウンド・コア、カズンズ(営業はしてないようで)もしっかり見つけました。
7年前、ライブのあとみんなの止めるのも聞かず、涙を隠しながら歩いた銀行脇の駐車場。その同じ通りを歩きながらジーンと胸が熱くなるのを止めようもなく、ただただ歩きました。
”マイクロ・チップは3枚目に”
ナカ君の帰りを待って、コーヒーを飲みに出かけました。12,3分歩いて着いた先に、あのカズンズが見えます。「今は営業していないようですよ」とナカ君は言います。いいのです、あの横長の楕円形のロゴは昔のまま。あの前でアダムがシャッターをきった当時のスナップと同じなのです。
午後、くみさんが連れて行ってくれたモール脇のお店でマイクロ・チップを仕入れてから、もう一度歩きなおし撮ったのが添付スナップです。説明の必要はないでしょう。なお、明日は隣町・マーフィスボロウへスペアリブを食べに行く計画です。お楽しみに。 4:25pm.10.jul.2001. from Corbondale N.okada
Carbondale report vol.2
”昨夜のディナーは?”
ここカーボンデールに着いてからはすっかりリラックスしています。ナカ君やルームメイトは迷惑がっているかもしれませんが、こちらはいたって快適。
昨夜はここでささやかやなディナー・パーティー。ナカ君が素麺を茹でてくれました。麺といい、ツユといいこれがやたら旨い 。3人(ナカ君、みゆきさんと僕、みつ君はまだキャンパス)であっという間に平らげてしまいました。
”今朝はコーナーダイナで”
今朝も7時起床。顔を洗ってからSIUのキャンパスまで散歩。リンカーン・ストリートからUターンしコーナー・ダイナの前を通りました。しっかり営業中。ポケットに$16ほどあるのを確かめてから中へ入り、道路沿いのボックス・シートに座りました。なにも変わっていません。後ろのおじさんがデイリー・エジプシャンを一部僕にくれました。(覚えていますか?7年前、このSIU新聞学部が発行する新聞に僕らのライブのインフォメイションが掲載されていたのです。)
メニューをもらった僕は”コーナー・ブレックファースト”のセット($3.75)とコーヒー($1)をオーダーしました。勿論、タマゴはサニー・サイド・アップに。
家に戻ると光圀君、ナカ君がもう学校へ。みゆきさんの授業は夜らしくまだ睡眠中。このメールを入れたら、今日はSIUの校内を見学に行きたいと思っています。
ではまた夜のリポートを御期待ください。
8:53Am.11.jul.2001. from Carbondale N.Okada
Carbondale report vol.3
”今朝はSIUキャンパスを見学に”
夕べはナカ君の手料理に感激しましたが、今晩は彼とちょっとセッションなどを試みました。3週間というもの、ギターを弾く機会(フィラの楽器店でちょっとありました)がなかったので、恋しくなってついつい11時過ぎまでやってしまいました。
今朝はメールを入れた後キャンパスにでかけました。1時間ほど歩くとあの中古レコード店・センカンド・チャンスのあたりへ。しかしセカンド・チャンスは本屋さんに変わっていました。
”シカゴ行きアムトラックのチケットをゲット”
昼過ぎにくみさんに頼んでアムトラックの駅へ連れて行ってもらいました。もちろん、16日にシカゴへ行くためです。ところが駅の窓口は”クローズド”。スタッフは昼食休憩に出ていたのです。仕方なくパン屋さんへ、と行きかけたのですがライブ・イベントをやっています。
線路沿いには昔の木製駅舎が保存されていて、よくイヴェントが開催されるようです。二人でしばらく地元バンドのロック・サウンドを楽しみましたが、帰り際バンドの連中と挨拶を交わしてリターン。駅に戻るとスタッフも戻っておりカウンターも開いていました。今回は”くみさん”という強い味方がいます。16日の4時5分発のシカゴ行チケットをすんなりゲット。
僕のアメリカ滞在も残すところあと1週間。ここまで来ると「帰るのがもったいない」などと思い始めるのですから現金なものです。では、さようなら。
2:58pm.11.jul.2001.from Carbondale.N.Okada
なお、写真は「SIU前景」と「木製駅舎でのライブ・イベント」です。
Carbondale report vol.4
”スペアリブのディーナーはひとまずお預け”
昨晩予定していたスペアリブのディナーは、ナカくんのルーム・メイトの授業の都合で14日に延ばすことにしました。その代わり、というにはさらに豪華(?)なディナーに招待していただきました。
くみさんの手作りディナーです。「せいじさん、悔しかったらカーボンデールまで飛んで来なせや」と言いたいくらいです。彼女はカーボンデール郊外の閑静な住宅地で暮らしています。マーフィスボロウ方向へ車で7,8分くらいの距離でしょうか。近くには広い土地を活用した邸宅が多く、メインストリートからも離れているせいか本当に静かです。
ところで、この日のメニューは”ビビンバ風”のどんぶり。ニューヨークの初日に連れて行ってもらった韓国料理店を思い出してしまいました。ボイルしたほうれん草、キムチのソースをからめたもやし、そしてタマネギと一緒に炒め、甘辛く味付けした牛のミンチがご飯のうえにたっぷりのっています。それも「これを俺一人で食うの?」と 聞いたくらい大盛りです。でもしっかり食べてしまいました。
昨晩いただいたナカ君手製の素麺といい、今夜のクミさんの手料理といい、一瞬忘れかけていた日本を思い出してしまいました 。なお、明晩はSIU校内で木曜日恒例のライブがあります。ではまた。
昨日は午後から殆どシャッターを切りませんでしたが、美女たちのスナップを送ります。 12:10pm.11.jul. from Carbondale N.Okada
Carbondale report vol.5
”中華食堂の味”
いつものことですが、一日の自分の行動を思い出すことからこの作業は始まります。ちょっと楽しいことがあったりすると、それまでのことがすっ飛んでしまいます。
今日もその楽しいことが夕刻に訪れました。そうです、楽しみにしていたキャンパスでの野外コンサートがあったのです。6時過ぎにくみさん、リナちゃんそしてスカットがこの家に来てくれました。 コンサートへ行く前にみんなで腹ごしらえ。みんな知ってる中華食堂です。(実は、僕は昼もここで食べたのです。テイクアウトなのですが)
ちょうど夕食時、次から次へ客がきます。オーダーするまで15分、出来上がりのコールまで25分、という感じでしょうか。僕とナカ君は”中華そばもどき”を食べる羽目になりました。麺は太目 、スープに味がありません。僕と仲君は代わる代わるお醤油を注ぎ込みました。それにポークのソティーが付いて来ました。これが結構美味で、豚カツとは一味違った香ばしさがあります。などと書いていると日が暮れてしまいますのでひとまず中断。
”キャンパスにはもう3000人もの人が”
中華食堂を出た僕らは、ビールを仕入れたあと2台の車に分乗しキャンパスに向かいました。もう人でいっぱい。スカットとリナさん2台の車を校内のパーキングに入れ、その人ごみを縫うように進み陣取りました。彼らは見知っ た仲間を見つけるたびに声をかけ、談笑しています。僕は早速シャッターを切りました。
バンドの音はソー・グッド。時折アイリッシュを感じさせる曲を織り交ぜながら、最後はロックンロール・メドレー。にくい構成です。 ライブは9時で終了。音楽を聴くより野外で、それも校内でおおっぴらに酒が飲めるのが魅力なのだそうです。
そういえば、アメリカではアルコールに対する規制が厳しく、昼間は勿論、夜もビール片手に闊歩するなどもってのほか、違法なのです。ニューオリンズのバーボン・ストリートなどは例外なのです。 その証拠に、ライブが終わり帰路に着いた僕とナカ君は、校内で警備にあたっていたお巡りさんに「手にしたビールを捨てなさい!」と注意されているグループを見ました。
シカゴのオヘア空港へ降りたってから4週間、旅の仕上げはSIUキャンパスの野外ライブ、素敵じゃありませんか。
明日は学生仲間の”新人歓迎パーティー ”に呼んでもらいました。なお、彼らはみな当家の次女と同年齢なのです。僕も気分だけは22才、リポートをお楽しみに 。
11:57pm.12.jul.2001. from Carbondale N.Okada
(写真はキャンパス・ライブに同行した仲間たちです。)
Carbondale report vol.6
Good morning!
今朝は昨日と打って変わって快晴。いつもより40分早く目がさめ、いつものコースを散歩、そしていつものダイナで朝食。3日目の今日はスタッフもチェンジしていて新鮮な気分。でもオーダーはいつもどおりのメニュー。昨日、キャンパス・ライブの絵を送れなかったので送信します。 8:25Amjul.13th.N.Okada
”5日目の朝”
昨晩は7時過ぎからリナさんの家でパーティー。インドネシアからの留学生3人、アメリカの友人一人を含む10人くらいのパーティーでした。夕方4時頃から準備していたらしく、僕らが着いた頃にはテーブルいっぱいに御馳走が並んでいました。この日のメインは”手巻き寿司”僕もツナ・マヨをたっぷりはさんで2本ほどいただきました。しかし、始まって30分とたたないうちにソウルド・アウト。海苔の食感はシカゴ以来で、日本を思い出させる食感でもあります。
ナカ君のギターを拝借して5,6曲歌いました。声がでません。でも僕にとっては、ニューオリンズ以来の楽しい ”ステージ”になりました。
”子犬はポピー”
パーティーの合間、喫煙のため戸外に出ました。アパートが長屋風に広がっています。隣人のアメリカ人女性が二人、ビールを飲みながら犬と遊んでいます。すっかりずうずうしくなった僕は彼女らに話しかけ、シカゴから3週間かけて東海岸を回ってきたことを伝えました。その間ブラウンの毛並みがきれいな子犬(といっても結構大きいのですが)は走り回っています。
僕は子犬の名前を聞きました。「ポピー」と僕には聞こえました。僕はさっそく「ポピー、ポピー」と子犬を呼んでみました。そこへリナさんが出てきて「おかださん、ちがうちがう。アメリカでは子犬をみんな”ポピー”と呼ぶんですよ」と教えてくれました。そこで僕は「ポピーは”車”だと思っていました。」と、お後がよろしいようで。(このギャグ伝わったのかな?)
”日々平和な営みが”
昨晩帰ってメールをチェックすると、久々にセイジさんから。「もうちょっと、キリっとしたリポートを送れ。最近おもしろくねーぞ!」と叱責のお言葉。(そうなんです、僕のリポートをしっかり論評してくれたのは彼だけなのです。)
しかしセイジさん、流れ流れてここカーボンデールに漂着。穏やかな日々をおくっている僕にとって、もうリポートなどどうでもいいのです。昨日も神田さんから「静かなカーボンデールでも、アメリカはアメリカ。最後まで気を抜かないでーーー」と激励を受けたばかり。そろそろ帰国モードに入ってしまったのでしょうか? では、インパクトのないリポートを送信。(でもそのほうが僕にとっては幸せなのです。) 写真はパーティーでのものです。
8:30Am.jul14th.2001.from Carbondale N.Okada
Carbondale report vol.7
「マーフィスボロウ”17th”のスペアリブ」
延期になっていたディナーに。お世話してくれた”3人の家主”(ナカ君、ミツ君、そしてミユキさん)と、昨晩パーティーを主催してくれた”リナさん”が主賓。そして今日のナビゲイター役のくみさんと僕の6名御一行様は夕刻5時30分、カーボンデールを出ました。そして6時過ぎ”17th”に着きました。
既に店の前には空席待のお客が数組。とりあえず”ナカ名義”で予約し、戸外でバドワイザーをいただきながら待つこと30分。そうなんです、6名が座れるテーブルは1ケ所だけ、これが待たされた原因でした。
男性3人はフル・サイズのスペアリブを、女性3人はそれぞれ別メニュー。ウェイトレスのハリーさんは飛びっきりの美人。言うことはありません。あとは財布の心配だけ。
結局、僕はこのフルサイズを食べきれず、半分をテイクアウト。(これは朝食用)でも、さすが、若者たちはペロリと平らげてしまいました。これで、カーボンデール滞在目的の2/3は遂行しました。
「スカットたちのキャンプに合流」
この日、スカットからくみさんあてに”湖畔でキャンプしてるので、来ないか?”とのお誘いがあり、ナカ君、みゆきさん、リナさんそして僕も楽器持参で同行させてもらいました。
9時少し前、ちょうど夕暮れ時です。サン・セットの美しさに心を奪われながら、くみさんのナビゲイトで運転手はリナさん。ようやくキャンプ場に着きましたが、スカットたちのキャンプ場所を探すのに一苦労。夕闇の中、林を抜けると湖が見えてきました。わずかに残る夕焼けが湖面に写る光景に僕らは息を飲みました。すでに焚き火があかあか燃えています。
まもなくボートからあがったスカットを待って、メンバーに紹介してもらい、早速、僕は歌い始めました。ナカ君がギターとパーカッションで手伝ってくれます。5,6曲歌うともう10時、最後は”スタンド・バイ・ミー”で僕らは退散。みんなと別れの挨拶を交わしてから、また真っ暗な林の中をスカットの懐中電灯を頼りに駐車場へ向かいました。そのとき「私、流れ星見たよ」とみゆきさん。
「30分湖畔を一周、迷い道」
駐車場からマーフィスボロウの街を経由し、一路、カーボンデールへと向かいました。正確には向かうはずでした。元々誰も行ったことのない場所で、地図もなく、電話で聞いた数箇所の目印を頼りにようやく着いたキャンプ場です。すんなり、帰れるはずはありません。案の定、迷宮に迷い込みました。すれ違う車もありません。「アバ」などと言う見知らぬ町を走っています。 「引き返そうよ」「車を止めて聞いてみよう」「モーテルを探そう」それぞれ勝手なことを言います。でもくみさんは「間違いがはっきりするまで、まっすぐ走りましょう」その一言が、迷宮からの脱出へと導いてくれたようです。午後11時40分、無事にカーボンデールのポプラ通りへ。
くみさん、リナさんはこれから帰って勉強とか。僕にとっても、久々のアドベンチャー。今夜は眠れそうにありません。写真は「”17th”での食事風景」と「キャンプでの記念写真」です。 0:50Am.jul.15.2001. from Carbondale K.okada
Carbondale report vol.7
家主たちの紹介
「3人の共同生活は?」
当初、くみちゃんにお願いしてカーボンデール市内に安いホテルをとってもらう予定でした。しかし到着時間が深夜でもあり、バス・デポにも近いナカ君の家にお世話になることになりました。家の住人はいずれもSIUへ通う3人 の学生。
ミツ君(みつくに君)は会計学を学んでおり「卒後、アメリカで仕事をしたい」と言います。彼は朝食を自分でつくり、みんなが寝てるうちに出かけ、夜は図書館で試験の準備、という日が何日も続いたようです。ちなみに、彼は 福島県出身で現住所は茨城県(光圀君はやっぱり水戸に?)とのこと。
みゆきさんは群馬県出身で、建築、デザインなどを学んでいます。小柄でキュートなお嬢さんですが、御勝手の洗い物、お掃除、ごみ処理などせっせとこなしています。「”チャラ”が好き」という音楽ファンです。でも、卒後は ?
御存知、ナカ君は”この屋のまとめ役”。例のおっとりした彼の性格が人を引き付けるようでしょっちゅう友達が訪れます。彼は、パート・タイムですがDJ をやっています。アメリカのFM放送を聞いたことがある方は御承知でしょうが、マシンガンのようにまくし立てるトーク。彼がそこまで英語をマスターしたとは驚き。が、彼曰く「日本人 向けの放送ですよ。先輩が始めた局を手伝っているだけなんです」と。今日も、デスクジョッキーにお出かけとか。
3人の顔が浮かんできたでしょうか?「特に仕事の分担はしてない」と言ってましたが、洗濯、炊事、掃除などそれぞれがそつなくこなしているようです。 では、ベスさん宅訪問記は明朝。 8:34Am.jul.15. from Carbondale N.Okada
ベスさんの家から帰りました。
「ベスさんの素敵な家と家庭と」
カーボンデール最後の夜にベスさんの家へ招かれました。リナさんが僕とナカ君を迎えに来てくれて「クミチャンは先に行ってるから」と言います。
街から車で15分、森をいくつか抜けると広い敷地の奥にブラウンを基調した家が見えてきました。ドアを開けてくれた一家4人の笑顔を見た途端、胸が熱くなり涙腺が緩むのを感じてしまいました。彼女は子育て真っ最中。3歳のマッケンジーちゃん、1歳ちょっとのオコーナー君が家中を走り回ります。御夫婦は” 目に入れても痛くない”という形容がぴったしの表情。
ベスが言います。「ジャッドは”早くリタイアして、テニスとゴルフがしたい”と言ってる」と。「奥さんは元気ですか?」「お孫さんはいくつになりましたか?」ベスから矢継ぎ早の質問。
ディナーはジャッドさんが焼いたチキン。僕は、久々のミラー・ビールですっかり上機嫌。オコーナー君と遊んで いるうちに、不覚にも黒水を思い出してしまいました。
夕食後、近くの池の周辺をみんなで散歩。毎晩、子供たちと歩いているそうな。歩いているとどこからともなく犬 が4匹。大小さまざまで、みんな人懐こいんです。「そこへ行くと日本で生まれたワンちゃんはつらいものがありますね」とナカ君。
9時前、夕焼けを見ながら辞去する僕らをいつまでも見送ってくれる4人。心から「ありがとう」と念じながらメールをたたいているところです。
9:20pm.jul.15th from Carbondale N.Okada
Carbondaleでの滞在期間で撮った写真はこのページ下部にアルバムとして掲載してます。