NEW ORIEANS Report ※このページ関連の写真はリポートの下部にアルバム掲載してます。
ミシシッピー河を望む
ニューオリンズ 7/1〜7/4
ニューオリンズでのレポート
New Orieans レポート Vol.1
I'm be in here,New Orieans !
御心配いただきましたが、 とうとうニューオリンズのフレンチ・クォーターにやってきました。 昼前にフィラのエアポートから飛び立ち、途中、アトランタでトランスファー(国内線の乗り換え)。ここでちょっとしたことが。
その1 乗り換えのゲート表示がないまま、フライト時間が迫り大慌て。なんとか滑り込みセーフ。アムトラン・エアはアトランタが本拠地。この会社のゲートだけで30ケ所もあり、フロアの延長は150mもあります。C2ゲートまで本気で走りました。
その2.危うく乗り込んだC2の待合にあの”イヴェンダー・ホリフィールド”(M.タイソンと数々の死闘を繰り広げたボクサー)が座っているではありませんか。ス タッフと4人ほどでしたが、だれも気がつかないそぶり。僕も声をかけられませんでした。
アトランタからのフライトが30分ほど遅れ、7時40分ニューオリンズ着。バゲイジを受け取り、シャトルバスでホテル( ホリデイ・イン・フレンチ・クオーター/tel 504.529ー7211、1213号室)に着きました。
街の様子などは明日ということで、とりあえず無事到着のお知らせまで。
New Orieans レポート Vol.2
”バーボン・ストリートの興奮をお伝えできるかなー!”
2時間ほど前に「到着」のメールを入れましたが、夕飯も食べず早速バーボン・ストリートへ出かけてきまし た。これが噂以上、ベースのビートにつられブルース・バーに入りました。ケティー・ウェブスターを思わせる女性 ボーカル。思わず、$5もするバド・ライト2缶を一気に飲み干してしまいました。店を出る際、お兄さんに彼女の名前を 聞いたのですが”テルマ・ルイーズ”と言ったように聞こえました。
”プロフェッショナルを感じさせる「Tip's」のステージ”
「初日から、オーバ・ーヒートしちゃいけない」と自らに言い聞かせながらバーボン・ストリートを歩きました。次はアベレイジ・ホワイト・バンドを彷彿させるファンクなリズム。すでにお酒が効き始めていた僕にブレーキは効きません。店に飛び込んだ僕はハイネッケンを($6.5)。次から次へ繰り出すファンクなリズムにすっかりはまってしまいました。”ノック・オン・ウッド”クラプトンなど目じゃない。そしてサンタナのナンバーまで。しばらくフロアで踊ったのですが「これじゃ3日もたないな。」と1時間ちょっとでエスケイプ。
※スナップはTIP'sのステージ。サウンドをお伝えできないのが、ウーーン残念。
from Neel Okada
後日注:このバンド名”Tips”、実は僕の勘違い。ステージ前に置かれた缶に「Tips」と張り出されていたのを見た僕がバンド名と思いこんでしまったもの。この缶は実はチップ入れで、どのお店にも同じものがありました。
”プラン is”
ここ、ニューオリンズをチェック・アウトするのは4日の朝。その日、アムトラックでメンフィスへ向かいます。メンフィスで1泊したあと5日、グレイハンドでナッシュビルに向かいます。ここで2泊し7日にグレイハンドでカーボンデールへ。そしてカーボンデールには15日まで滞在し、翌日にシカゴへ戻り、18日に帰国。といった具合です
New Orieans レポート Vol.3
今こちらは昼の12時を回ったところ。日本は真夜中でしょうか。散歩先で雨に降られ、晴れ間をみてホテルに戻ったところです。
”バーボン・ストリートでの興奮がうまく伝わったでしょうか?”
昨晩書きませんでしたが、仕上げにホテルのレストランで”スペア・リブ”を食べたのです。これがなかなか美味しいのです。ビール腹で食べきれず、半分はテイク・アウト、翌朝のブレック・ファーストになりました。
スペア・リブといえば7年前のマーフィスボロウ。ナネットが全米で一番のお店に連れて行ってくれました。(ナ ネットは多忙で来れなかったのですが)その頃、マーフィスボロウの街はアップル・フェスティバルの真っ最中で、 観覧車が夜空に輝いていたのをよく覚えています。
”ルイジアナ州をアメリカに売り渡したのはナポレオン”
ここ、ニューオリンズを含むルイジアナ州は、1803年、当時の統治国フランスからアメリカが買い上げたもので、その文化の名残がフレンチ・クォーター地区には多く残っています。”バーボン・ストリート”のバーボンはフ ランスの貴族ブルボン家からきています。あの、バーボン・ウィスキーからではないのです。(ちなみにケンタッキ ー州バーボンの町名もブルボン家からきたもの)
そこで今朝は、この地区をエキゾチックな雰囲気にしている建築様式、ギャラリーとバンケットを撮りにロイヤル通りを歩きました。家の2、3階部分には鉄レース細工で飾られたバルコニーがついています。(これをギャラ リーと呼ぶのだそうです)ギャラリーの下は通路(これをバンケットと呼びます)になっていて、ちょうど雪国新潟の雁木のようです。その美しい家並みを数枚撮ってきました。
”ジャクソン広場からミシシッピー河岸へ”
「ジャクソン広場の路上ではミュージシャンや芸人などが自由にその芸を披露している」とガイド・ブックにはありましたが、まだ時間が早くサックスを吹くおじさんが一人だけで、曲はテイク・ファイブ。公園のベンチで一服し数枚のスナップを撮り、リバー・サイドへと歩を進めました。
ミシシッピー河とは7年ぶりの再会になります。カーボンデールからメンフィスへの珍道中を思い浮かべてしまいました。あの大きな水車がついた遊覧船の乗り場が2ケ所、朝から観光客が並んでいます。潮の香りがします。30分ほど河沿いの遊歩道を歩き、街に引き返しショッピング・モールに入り2階のフード・コーナーでピザを。すると大雨。なかなか止みそうもないのでショッピング。30分後、晴れ間をぬってホテルへ。では、今夜のバーボン・ストリート編第二弾、期待していてください。 from Neel Okada
New Orieans レポート Vol.4
「Good morning!」ニューオリンズ3日目の朝。7時起床、いつもどおりコーヒーメーカーをセットしメールをチェック。「ニューヨークのヨウコさん」から、と「セイジさん」から2通目のメール。うれしいことです。(新着メールが空白の時は、正直がっかりします)
”ホテル事情”(情事ではありません。念のため)
こうしてホテルを渡り歩く、などという経験は僕にとって初めてのこと。みなさんも、そうそう経験できることではないと思うので、少しだけリポートしておきます。
シカゴの”ホリデー・イン・マート・プラザ”同じくシカゴの”ベスト・ウェスタン”、ニューヨークの”ホテル・ペンシルバニア”、ボストンの”マリオット”、フィラデルフィアの”ホリデー・イン・インデペンデンス”、そして現在の”ホリデー・イン・フレンチ・クォーター”が6ケ所目になります。
「ホリデー・イン」とあるホテルは同系列で、どの都市でもみかけます。メモ用紙やキー・カード入れなど同じ物を使用していますから、すぐわかります。今手元に請求明細がないので正確ではありませんが、ここニューオリンズは$98(12,000円)ですから比較的リーズナブルなクラスなのでしょう。フィラデルフィア(火事騒動のあったホテルです)では、2階だったせいか排水が悪く、洗濯のとき困りました。一晩だけの”ベスト・ウエスタン”も各都市で数箇所の表示が見つかりますから大きな ホテル・チェーンで、価格からみるとハイ・クラスです。ちなみに、シカゴでは$180。
そして、僕が一番気にいったのがボストンの”マリオット”これも各都市で名前を見つけることができます。フロントの応対、部屋の綺麗さ、そして今回のテーマ”リポート送信”に欠かせないEメール専用ジャックがテーブルにセットしてあります。ニューヨークで1週間メールが途絶えただけに、本当に救われた思いでした。ここは電話使用料も安く、2泊3日で$30くらいでした。
電話料が高かったのはシカゴのホリデー・イン・マートで、2泊3日で$70ほど。ついでにHなビデオですが、当然ながらどこも有料でシカゴのホリデー・インは$18、ボストンのマリオットでは$8と価格差がありました。ちなみに、画面には「請求書には映画の題名は表示されません」(というインフォがついています)ので安心して楽しんでください。なお、ここニューオリンズのホテルにはありません。これは”セックス”が街の主要産業のひとつであることと関係があるのかも知れません。
ちょっと長くなりましたから、この辺で”ホテル事情”はひとまず終了。
昨晩のライブ事情など、次回と言うことで。今日はフレンチ・クーターを離れ、ルイ・アームストロング広場まで足 を伸ばす予定です。 from Neel Okada
New Orieans レポート Vol.5
今日はフレンチンチ・クォ−ター・エリアから出て、アップ・タウンへ足を伸ばしました。所要時間は約3時間、いや 疲れました、のども渇きました。テーブルにコーヒーと氷水を置いて打っています。
”タバコ事情”
御承知のように、僕はヘビー級のスモーカー(体重はs.ミドル)。これが無いと落ち着きません。(反面、飛行機や列車内など”禁煙”表示があれば10時間でも吸わずにいられます)成田空港の免税店で2カートン仕入れたのがニューヨークの後半でなくなりました。ヨウ子さんによると「ニューヨークは禁煙のキャンペーンをしているから高いんです」とのこと。ちなみにマールボロウ・ウルトラ・ライトが$5。ボストンでは$4。フィラデルフィアでは$3。アトランタでは$4.25。ここニュオリンズでは$4.5。という具合で、州によって違います。これはタバコに掛かる消費税が各州で決められているからで、禁煙政策に温度差があることを示しているようです。それにしても、$5は高い。(日本の2倍近い)
最近のアメリカの訴訟では、タバコ会社に数億ドルの損害賠償命令が出るなど”喫煙”をめぐる情勢は風雲急を告げてきたようです。 一方、ストリートを歩きながら吸う人は多く、特に女性スモーカーが目に付きます。そして、平気で路上へポイ捨て。僕のようにポケット灰皿を使っている姿など見たことがありません。これも”お国柄”なのでしょう。
”アームストロング公園からスーパー・ドームへ”
ホテルから東へ7ブロック、そしてバーボン・ストリートを突っ切り、北へ4ブロックあがるとアームストロング公園に突き当たります。規模はそれほど大きいものではありませんが。あのジャズ・ジャイアント”ルイ・アームストロング”などの銅像があり、手入れの行き届いた静かな公園です。僕が寄ったのは10時過ぎでしたが、黒人のツアー客15、6人が公会堂職員から説明を聞いていました。それにしても今日は暑く、水のボトルを持ってでなかったことを後悔しながら、それでも今度は西へ、西へと歩き続けました。40分ほどで摩天楼群が見えてきます。ここまで来るとフレント・クォーターの雰囲気はまったくありません。市の庁舎、ルイジアナ州庁舎と並んで、あのスーパー・ドームが見てきました。ドームのゲート前まで行きましたが、入場料を払わないと入れません。仕方なく引き上げましたが、ここはNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)ニューオリンズ・セインツのホーム・グラウンドです。1975年に200億円以上の巨費をかけて建設されました。フット・ボールでは76000人、コンサートでは10万人以上収容できるマンモス・ドームです。
”ついでに寄ったユニオン・ステイション”
ドームと並んでシティー・ホールやポスト・オフィスがあり、地図を見ると裏手にアムトラックの駅があるはず。明日はここでシカゴ行き(メンフィスまで)に乗ることもあり、重い足を引きずりステイションのホールへ。ここはグレイ・ハンドのバス・ターミナルも兼ねているようで、ゲートが分かれています。閑散としたホールを見渡すとフード・コーナーが目に入りました。もう11時半、のども渇いたこですから、早いランチに。ホット・ドック2個にスプライト(お変わり自由)で$6.26。
帰路はロヨラ通りからカナル・ストリートを南下し、ホテルのあるロイヤル・ストリートまで約30分。意外と近 いのにびっくりしたくらいです。でも、明日、ばっぐを引きづりながら歩く元気はなさそうです。では、また次回ま で。 2:20pm.3.jul.2001 from Neel Okada
New Orieans レポート Vol.6
”4人のお嬢さんと合コン”
午後3時過ぎ、あの”朝日のあたる家”を探しにセント・ルイス通りを歩きました。ここは説明だけでガイドブックにも絵がありません。地番を頼りにストリートを歩いたのですが、それらしい家は見つかりません。通りで若い黒人に聞いたのですが「アイ・ドント・ノー」。ちょうどそれと思われる家から年配の黒人がでてきたので尋ねたとこ「 オー・イエス・ザッツ・ハウス」。でも、そとからでは、面影はありません。
2日前は朝早すぎて、ストリート・ミュージシャンに会えなかったのでジャクソン広場へ向かいました。ちょうど ケイジャン・ミュージックのトリオが演ってました。缶に$1入れ、向かいの建物に腰掛しばらく聴いていました。 すると、そばで日本語が聞こえます。4人の若き女性たちです。
飢えた狼はしばし時間を置いて近づきました。「日本から来たの?」久々のスピーク。「私ら南米から3日前に着 いたの」と一人が応え、そのミュージシャンの前で記念写真。メール・アドレスを聞いて「バイバイ」。
”ついにステージ・デビュー”
さよならを言ったはずでしたが「彼女らはライブに行きたい」と言います。”仕方なく”夕方から演っているブル ース・バーへエスコートした次第。ここでハプニング。昨夕出ていた(夜は変わっていました)ブルース・バンドが 客のいないホールに。彼らも僕を覚えていてくれたらしく「ハーイ・ジャパニーズ・ブルースマン」と応えてくれま した。そして「何か歌うか?」と言ってくれました。 カードなしに歌えるのは、あの”時が過ぎるように”だけ。「Cmブルース、OK」とだけ伝えました。 そしてステージに上がった彼らは5曲演奏した後、僕をコールしてくれたのです。ビールが効いていたせいか、意外 とフラットでしたがところどころ歌詞をロスト。でも、10人ほどいたお客さんから$7もチップをいただきました 。ステージを終えた彼らと僕らは記念のスナップを撮り、夜の9時に再会する約束をして、彼女らと別れました。” やったぜ、ベイビー” 6:20pm.3.jul.2001. from Neel Okada
これから荷造り、メンフィスへ。
昨夜は4人のお嬢さんたちとディスコへ。”フェイマス・ドア”という、客の入りが通りのなかで一番、という店 です。僕は初日に体験していたのですが、こわごわ入った4人にバドのボトルを持たせ、こみ始めた店のフロアへ。バ ンドは変わっていましたが、前のバンドに劣らず乗りのいいカッコいいサウンドを聴かせてくれました。リーダーと思われる黒人ボーカル、白人女性のボーカルはいづれもキーボードを兼任。そしてギター、ドラム、ベースにブラス ・セクション(トロンボーンにペット2本)という8人編成。 ”シェイク・ザ・プティー”など往年のディスコ、ファンクナンバーが淀みなく聞こえてきます。僕は彼女らにかまわず、ずっとフロアでステップを踏んでいました。(運動不足解消も?) そして11時過ぎ店を出、通りで余りうまくないブルースをどなっていた兄さんと路上セッション、そうなんです 、しっかりハープを持って出たのです。そして、4人とは路上で”グッバイ、テイク・ケア!”。
こうして、僕の ニューオリンズの夜は終焉を迎えたのです。
では次回、メンフィスから(時間あるかな、どうかな?) 8:20Am.4.jul.2001. from N.Okada
”ニューオリンズ続報”
”朝日のあたる家”既に前のリポートで少しふれたこの家のことを。最終日列車の時間まで、涼を求めてミシシッピー河沿いを歩いていたとき「朝日のあたる家」の例のアルペジオが 聞こえてきました。僕も「マイ・マザー・ワズ・テイラーーー」と口ずさみながら行って見ると、黒人の親父さんが日傘をさ し、ストラトもどきのボッコレ・ギターを弾きながら歌っています。前にしゃがんで「僕の好きな歌だから、もう一 回歌ってくれ」と$1札をバケツへ。彼は快く応じてくれました。その足で、セント・ルイス通りに引き返しその「朝日のあたる家」をもう一回見に行ったのです。それが添付写真 の白い家です。(前に送ったかな?)ここは1800年代、売春宿だったところで、1847年からこの家に住んで いたレバン(フランス語で”朝日”の意味)未亡人の名前から来ているようです。 8:15Am.5.jul.2001. from N.Okada
New Orieansでの滞在期間で撮った写真はこのページ下部にアルバムとして掲載してます。