Nashvile Report ※このページ関連の写真はリポートの下部にアルバム掲載してます。
ナッシュビル 7/5〜7/9
ナッシュビルでのレポート
Nashville レポート
”雨に煙るナッシュビルは素敵な街です”
メンフィスからグレイハウンドのバスで4時間半、ようやく憧れのナッシュビルへ。ホテルは街からけっこう遠くて、ひどい雨のなかタクシーを飛ばして30分。高原地帯と言っていいのでしょうか、緑の木々の中を走るハイウエイ沿いにあります。この辺は高層ビルもなく、ホテルも3階まで。ちょっとおしゃれで、短パンやジーパンでははずかしくてロビーを歩けないくらいです。ただ移動には大変で「そこまで歩いてくる」というわけにはいかないようです。では、取材後夜にでもまた送信します。 6:20pm.5.jul.2001. from K.Okada
「ニューオリンズもいいけど、ナシュビルも "so good!"」
着いてすぐメールを送り、シャワーを浴びたあとストリートへと。フロントでマップをもらいましたが、今自分が立っている場所が分からず、ホテル前で待機していたタクシーの運ちゃん(ただし、綺麗なレディですよ)に「Where am I ?」と聞いてしまいました。
ホテルのあるオープリー・ランドはダウン・タウンと違って、ショー・アップされたシアターやリゾート・ホテルなどが連立するリゾート・エリアになっています。夕刻8時前(まだ、ホント明るいのです) タバコを仕入れに通りに出ました。さっき教えてもらった通りをワン・ブロックも行かないうちにタバコ屋さんがありました。ここでは$3でマールボロウが買えます。(でも日本より充分高いのですが、5個まとめ買い) レジの 女性に「ライブをやってる店が近くにないか?」尋ねました。すると「すぐそこのコーナーがそうだ」と教えてくれ ました。
”カントリー・ミュージックもいい!!”
8時過ぎ、教えられた店に入りました。100席ほどあるでしょうか、ディナーつきライブ・スポットという感じの広いフロアの店です。演ってましたカントリー・バンド。G,Bs,Key,Pedstl & Drというオーソドックスな編成です。うちG,Bs,Keyを担当する3人が歌います。またKey奏者はバンジョーも演ります。1時間余りのステージでしたが、テーブルで会話ができる程度の音量。さすがナッシュビルと思わせてくれるステージでした。10曲近く演奏したようですが、僕の知ってる曲は、あのビートルズの”I Just seen a face"(マイ・フェイバリット・ソング「夢の人」)だけ。
”このステージでも多くを学びました?”
ニューオリンズ・リポートでもふれましたが、ここでもミュージシャンの腕前は「スッゲ!」。今日のバンド・メンバーの年齢は40から50歳くらいでしょうか。トークをはさみながら次から次へと間をおかず繰り出すナン バー。「これはアマチャアといえど、僕らも見習うべき!」と思いながら聴いていました。では、ステージを下りた 彼らのスナップを添えて、リポート1を。 10:05pm.5.jul.2001. from N.Okada with Love.
Nashville report vol.2
ナッシュビル2日目の朝はどんよりした曇り空です。7時過ぎに起きて、いつものようにコーヒー・メイカーをセットしながらCNNのニュースを見ていたのですが、香港では大雨らしいですね。 ウェザー・リ ポートによれば明日のナッシュビルは雨模様とか。ちょっとうっとうしいですね。
”オープリーランド・ホテル”
昨日もお伝えしましたが、僕が宿泊しているホテル脇の通りをはさんだ向こう側に、オープリー・ホテルがあります。ここはナッシュビル名物といっていい巨大なホテルです。例によってガイド・ブックによる先行リポートなのですが、年間の宿泊客200万人、宿泊以外で訪れる客も200万人といいます。5ケ所のコンベンション・センターや30以上のショップ、10以上のレストラン、そして3つに区分けされたインドア・ガーデンがまたすごいのです。 ガーデンの中を川が流れ、船まで行き来していると書いてあります。
”グランド・オール・オープリーとアリスン・クラウス”
ここにはあの”グランド・オール・オープリー”の中継が行われる”グランド・オープリル・ハウス”(1974年まではダウンタウンにあるライマン公会堂で開かれていた)が隣接しています。
僕がカントリー音楽のファンだというのを知らない人も多いと思います。そうなんです、僕のモスト・フェイバリット・シンガーは”アリソン・クラウス”なのです。彼女は10代でフィドル奏者としてカントリー界へデビュー。7、8年前にBSで”アメリカン・ミュージック・ショウ”が放映されていましたが、彼女がゲスト出演し ”I WILL”(ポールの名曲ですよね)を素敵なアレンジで、華麗な歌声を聞いてしまったのです。以後、日本で発売されている彼女のCDはすべて(といっても7枚?)買いあさったほどです。先日、キミ君にその話をしたら実は彼もアリスンのファンでした。 今回の旅程のなかで、最後までホテルが決まらなかったのもナッシュビルでした。JTBではホテルを押さえてないらしく、アップルという会社のバウチャーでした。ナッシュビルに固執したのは、もしかして”彼女の ステージが観れるかも”というはかない望みを抱いたからなのです。
では、これから朝食を済ませてからそのオープリ ーランド・ホテルに行ってきます。詳細は夕刻のレポートで。 9:05Am.6.jul.2001 from Neel Okada
※ 添付写真は昨晩行ったレストランです。部屋を出ると廊下兼ベランダで、そこから撮ったものです 。
Nashville report vol.3
”ありました、アリソン・クラウスのポートレイト”
朝食に1時間かけてしまいました。ここもバイキング・スタイル。僕が最後の客でしたがゆっくり楽しませてもらいました。レストランのロビーには、カントリー界のスター達のポートレートや楽器などが壁一面に展示されています。どこの店でも似たようなデコレイションがあるようです。
ウェイトレスに「アリソン・クラウスのポートレートはありますか?」と聞いたのですが、僕の発音が悪いせいか、彼女は首を傾げてしまいました。そのうちもう一人年配のウェイトレスがやってきて、いっしょにポートレートを探してくれました。そして見つけました。下の写真、中央が彼女・アリスンです。編集用フォトが少ないようなので、出掛けに入れておきました。
”ナッシュビル滞在を2日延長?”
最初にレポートしたように、現在、僕はダウン・タウンから離れたミュージック・ランドにいます。予定通り7日 にカーボンデールへ行くと、ダウン・タウン地区を探索できないことになります。したがって、明日ダウン・タウン へ移動し7、8日と滞在できるようホテルをさがしてもらっています。結果は次のリポートでお知らせできると思 います。 10:50Am.6.jul.2001. from N.Okada
Nashville report vol.4
”行ってきました、オープリーランド・ホテル”
10時過ぎ出かけました。通りを渡りミュージック・ロードを歩きました。15分ほどでホテル前に、カメラを取り出しシャッターを押しました。すると”マイクロ・チップが入っていません”との表示。あわててホテルへ取って返し再スタート。今日は暑いんです。既報の通りマンモス・ホテルで、どこへ行っても全景は撮れません。大きくておさまらないのです。年に200万人、ということは毎日5000人以上が宿泊していることになります。今も、ひっきりなしに車が入ってきます。
他の観光客にまぎれて中へ入ると、人また人。ようやく見つけたのがギブソン・レスポールのブース。下の写真がそうですが、ホワイト・ アッシュ製の初期のモデルほか2本のギター、バンジョーがガラスケースの中に展示されています。
”素敵なインドア・ガーデン”
ホテル内をぐるぐる回り、やっとインドア・ガーデンに入りました。回りのホテルと立体的につながっていて、河や滝そして噴水が旨く配置され、周囲のホテル・ルームと見事にマッチしています。カスケード、デルタ、そしてベランダと名づけられた3つのブースがありますがどれも素晴らしく、思わず通りがかりの女性にシャッターを切ってもらいました。(逆光かな?)
館内のあちこちで、ミーティングが開かれており、廊下に座り込んで聖書(?)を読みあっているグループもあります。中を回るだけで半日かかりそうです。出口を探してうろつきましたが、一歩外へ出るとまた暑さが堪えます。そして、また戻り道をさがしてホテルの周囲を行ったり来たり、12時40分ようやく自分のホテルへ帰還。 1:07pm.6.jul.2001. from N.Okada
Nashville report vol.5
”あのグランド・オール・オープリー・ハウスへ”
カントリー・ミュジックのファンでないと知らないかもしれません。このグランド・オール・オープリーは1925年の放送開始以来一回も休むことなく76年も続いている、アメリカでも最長寿番組なのです。でも、僕もアリスン・クラウスに出会わなかったら、これほど気にならなかったのかもしれません。道ですれ違う人の99%は白人観光客で、入ったレストランでも"自分が異様な存在”と感じたほどです。
ショッピング・モール、レストラン、映画館そしてタワー・レコードなどが入っている建物の大きさはビックリするほど。レストランの壁には例によってカントリー界のスターのポートレート、ゴールド・デスクそして楽器などがビッシリ。ここでも僕はアリソン・クラウスを探し、ウェイトレスにも聞いてみましたが見つかりませんでした。
がっかりしながら帰りかけたのですが、ホールの中央で女性ボーカルをメインにしたバンドが演奏しています。勿論、アリソンであろうはずはありません。ドラムなしのアコースティック・サウンドでしたが、やっぱりさすがです。その写真を添えてお送りします。
”既報どおり2日間、ナッシュビル滞在を延長”
先ほどホテルの部屋に戻りました。ミツヤス君から「ダウンタウンのホテルとれました」とメールが入っています。明日7日にダウンタウンへ移動し、9日夕刻のグレイハウンドでカーボンデールへ向かうことになります。
では、今夜のレポートをお楽しみに。 7:28pm.6.jul.2001. from Neel Okada
Nashville Downtown report vol.1
”やって来ました、ダウンタウンへ”
アダルトな僕には、やっぱりダウンタウンがよく似合う。(とは、誰も言ってくれないでしょうが) 朝の10時過ぎラディスン・インをチェックアウトし、タクシーを飛ばすこと25分、ダウンタウン(本当は、少しはずれたミュージック・ロウのエリア)へやってきました。
ホテルの名前は”Shoney inn”どう読んでも”少年院”(ショネイ・イン)です。街まで1.5kmほどの距離がありますが、急遽リザーブしたのでやむをえません。夜の帰還はタクシーということになりそうですが安全第一。宿賃は$89とリーズナブル。また後述しますが、ミュージック・ロウが近いことが何よりの魅力です。
”ニューヨークと同じ、ブロードウェイが”
ホテル着が10時30分と早かったせいでチェック・インができず、昼過ぎまでダウンタウンへでかけてきました 。街は南北方向に長く、東端はカンバーランド河で、西端は鉄道で仕切られた形になっていて、ほぼスクエアに道路が配置されています。
メイン・ストリートは”ブロウドウェイ”とニューヨークとおなじ。丘陵地を切り開いた街だけに、西から東方向への下り坂がきつく、帰路の登りはハードでした。(後日注:この街が、アメリカのアテネと呼ばれていることを後で知りました)
”ブロードウェイで、早速、ライブ・スポットへ”
ガイド・ブックにあるいくつかの建築物を見ながらブロードウェイを下りました。右側に大きなドームが見えます 。”ゲイロード・エンタティメント・センター”です。フット・ボールやコンサートの会場で、チケットを持たない ままゲート・インし、ガード・マンに追い返されてしまいました。仕方なくタレンショップへ入り、インフォを見る と”Aug.18th,ジェイムス・テイラー”との掲示がありました。 ホールを出てなお下り、カンバーランド河近くでUターン。向かいの歩道を歩いていると店から、カントリー・ミュ ージックが聞こえてきます。そうなんです昼前なのに、もうおじさんが歌っています。
道路に背を向ける形でステージがあります。テンガロン・ハットに形のいい髭。ギターはギブソンのハミングバードをラインで出しています。声がいい、ギターもまたうまい。サム・ピックをつけ、ベース音もしっかり聞こえます。ここは、バドのボトルが$3と安く、その分チップをはずんで1時間近くねっばてしまいました。店の名はわすれましたが、出ると隣の店でも、そのまた隣の店でも、そのまた隣の店でもライブが始まっています。「やっぱりダウンタウンへ来てよかったな」と一人納得し、ハーハーいいながらホテルへ御帰還。(写真は鉄道側からみたダ ウンタウンの摩天楼) 1:15Pm.7.jul.2001. Neel Okada from Nashville
Nashville Downtown report vol.2
”なんとレストランがない!”
チェックインのあと、シャワーを浴び、P.Cをセット。ここも受話器に2系統のライン・ジャックがあります。早速、ダウンタウン・リポート第1報を入れました。
3時を過ぎると空腹を感じたのでホールヘ下り、フロントの女性に「レストランで何か食べられますか?」と聞きま した。女性は「ありません」としか答えてくれません。僕はさらに「近くにありませんか?」と聞き、彼女は「ワン ・ブロック向こうにあるが、車はないのか?」と。こうした実りのないやりとりのあと、昼前に寄ったグレイハウン ドの駅を思い出し、短パンにTシャッツのままダウンタウンの方向へ歩き始めました。
ついさっきは意気揚揚と歩いていた僕が、今、同じ道をとぼとぼと1キロほどバス・ターミナルまで歩いているのです。ビーフのミンチを焼いてたれを付けたもの、チキンそしてコーンがランチ・メニュー、勿論テイクアウト。
ランチをとりながらテレビをつけると、ジミー・ヘンドリックスのヒストリーが細切れの曲とともに流れています。30分ほど見ていたでしょうか、もう4時半を回りました。僕は気力を振り絞ってリポート第2弾に取り掛かったわけです。皆さんが寝ている間に2通のメールを届けるなんて、僕もけっこう多忙なのです。添付写真は老夫婦のストリート・ミュージシャンを選びました。 5:06.pm.7.jul.2001. from Downtown in Nashville.
Nashville Downtown report vol.3
”気合を入れなおしてダウンタウンへ”
ジミ・ヘンの話まで書いたのかな? 夕刻6時過ぎ「何のために、2日もホテルを取ったのか!」気を取り直して街へでかけました。やっぱりこの時刻になると観光客も多く、テンガロン・ハットを小粋にのせた方々が闊歩しています。僕は昼前と道を変えて、7th.Aveからブロードウェイに出ました。歩いてみると東西方向だけでなく、北へ向かってかなりの傾斜です。上の方ほど急で、適当なところでユー・ターンしカンバーランド河まで下りてみました。するとここにもありました、”ハード・ロック・カフェ”が。リバーサイドにはタクシー代わりの馬車が並んでいます。よく見ると女性の御者も2人ほど見えます。僕は川岸に下り下流方向に遊歩道を歩き、またストリートへ。
”やっぱりいない、アリスン・クラウス。でも”
しばらくブロードウェイを行ったり来たり。ヒルトン・ホテルの裏庭で一息入れた後、ライブ・スポットが並ぶ4thから5thアベニューに引き返し、女性ボーカルが聞こえる店に入りました。
客はまばら、僕は遠慮せず奥にあるステージの正面に腰をおろし、いつものバドをオーダーしました。ここも$3です。2、3曲聞いたあとチップを入れにステージ前までいき、行きがけの駄賃とばかり、シャッターを2、3発。やっぱり、ここでも演奏はグーです。ギターの太ったおっちゃんはテレキャスターを器用に弾きこなします。ベース、キーボード、ドラムそれに忘れちゃいけないフィドルの女性。アリスンには似てないけれどチャーミングで腕も極上。ブレイクまでたっぷり1時間聴いてからエスケープ。このバンドもやっぱりCDを出していて、宣伝につとめていましたが、この女性シンガーも小柄でキュートな美人、で声に迫力もあります。2度目のチップの折、リクエストをしてみました。なかなか曲名が思い出せずいらいらしていたのです。ようやく 思い出した”Sleep on"”Steel road"の2曲です。でも残念ながら「アイム・ソーリー」知らないらしい。特にスリープ・オンはキミ君のフェイバリット・ソングで、彼を思い出しながらのリクエストだったのに。
”歩こうか?どうしようか?”
さて8時半を回り暗くなってきました。ホテルまでのデイジャラス・ロードを考えると「潮時かな」と観念し、坂道を登り始めました。
夕飯も調達しなきゃならないし、暗くなるし、迷いながらやっぱりグレイハウンドのレストランへ。今度はテイ クアウトなしで、とは思ったのですがチキンを一切れ包んでステイションをでました。10分足らずでホテル着くは ずです。そして鉄道を越える橋にかかったとき「ハブ・ユー・スモーク?」声をかけられました。それも黒人2人か ら。僕はさりげなく「ショアー」とモクを1本づつわたし、何もなかったようにホテルへ急いだのです。という、ダウンタウン初夜でした。
9:53pm.7.jul.2001. from Downtown in Nashville. N.aokada
Nashville Downtown report vol.4
”アメリカとは?”
今日は8日、サンデイ・モーニングです。出かけるには早いので表題のようなテーマで少しレポートを書くことにしました。皆さんが「アメリカ」と聞いてイメージするのは、ロック、ハリウッド映画、メジャーリーグ、デズニーランド、プレスリーなどさまざまでしょうね。
僕の場合は、というと”ブルース”と言いたいところですが実は”西部劇”なのです。ララミー牧場から始まって、カートライト兄弟、ライフルマン、ウェルズファーゴ物語、ガンスモーク、ブロンコなどなど昭和30年代を彩ったテレビ西部劇シリーズがそのベースであることは言うまでもありません。中学生の頃はガンベルトを腰に巻き、コルト・ピースメイカーで早撃ちの練習に励んだものです。
ということで、僕が持ち歩いているいくつかのガイドブックから、アメリカに関するコメントをいくつか紹介してみます。日本へ着いてからも、こんなリポートを続けたいな、なんちゃって。
”アメリカ人”
いつ頃までか知りませんが、1620年12月16日、あのメイフラワー号でプリマスに上陸した102名のピルグリムファーザー及びその子孫が「純粋なアメリカ人」とみなされていたようで「今でもWASP(White Anglo-Saxon Protestant)は合衆国社会の頂点を構成している」と書かれています。
アメリカでは、統治する土地で生まれた子供には、自動的に国籍を取得する資格が与えられます。外国人でも 、永住者用査証(Immigrant Visa)を取得することにより、永住を前提として入国できます。ちなみに日本の場合”属人主義”を取っていることから、日本人がアメリカで出産した場合その子供は日本か、アメリカか国籍を選択することになります。現実にはいろいろ制約はあるようですが、基本的には肌の色や言葉とは関係なくアメリカ人になれる、というお話でした。
次回は”アメリカ南部”について触れたい、と思います。このシーリズは折をみて継続掲載したいのですが、皆さんの意見をメールでお寄せください。
なお、添付写真は文面と関係なく、ナッシュビルのブロードウェイ東のはずれにあるハードロック・カフェ前の観光馬車(女性の御者に注目)。 9:50Am.8.2001.from Nashville.N.Okada
Nashville Downtown report vol.5
”今朝はミュージック・ロウから”
ミュージック・ロウといっても知っている方は少ないと思いますが、かつてアメリカン・ミュージックの半数以上が、ここで製作されていたところです。ソニー、マーキュリー、アリスタ、ワーナーなどお馴染みの大手レコード会社のレコーディング・スタジオなどが点々としている、はずでした。
メインの通りはミュージック・アヴェニューとネイミングされ、それと交差するストリートには”チェット・アト キス通り””ロイ・エイカフ通り”などビッグ・アーティストの名が使われています。
しかし、どこを歩いてもガイド・ブックにある建物が見えません。それどころか、観光客も皆無。ビルの窓やドアには「フォー・セイル」「フォー・レンタル」と張り紙があるだけ。僕のガイド・ブックには「1999年の資料が 元になっている」との断わり書きがありますが、それにしても2年前ですよ。
”老舗のレジェンズ・コーナー”
正直、がっかりしてダウンタウンへ。朝の10時30分にホテルを出てから、もう1時間以上歩いています。今日は東のはずれ、ハードロック・カフェの前に出て、脇の通りを北へ登ってみました。この周辺にはテネシー州の国会議事堂や戦争記念館などがあります。写真をとったりしながら、喉を癒しにまたブロードウェイへ。結局、5thアヴェニューのライブが並ぶ通りに来てしまいました。
一番角にあるのが”Legends Corner”といって、この界隈では最古の店です。昨日も何回か行ったり来たりしたのですが、いつも満員で気後れした僕はこの店を避けていました。
今日はガランとしていて、女性シンガーが一人ステージに。いつものバド、$3を払いカウンターへ座りました。喉が渇いていた僕はバドを一口、そしてお決まりのチップ、スナップを撮るのも忘れてい ません。
”ペニー・マンス”と読めばいいのでしょうか、彼女はすっごい美人。ギターはタカミネ、すごいテクニシャンというほどではありませんが、ベース音もしっかり弾いていました。20分ほどでステージはブレイク、2本目のバドをオーダーし次のステージを待ちました。
彼女はお客が入るたびに会釈をおくり、出身地を聞きます。そしてその土地にちなんだ曲を歌うのです。さすがにジャパン製の歌は歌いませんでしたが、J.デンバーのカントリー・ロードを僕にプレゼント。ついつい嬉しくなった僕は、目の前のナプキンに
”My Name is Koich Okada.Let's call me,if you'll come to Japan."と書いて彼女に渡し、「I have to go,to Chicago」と伝えてからC.Dを買ってしまいました。彼女は中のライナーノーツにサインをしながら「もう1曲プレゼントっしたい」と言って歌ってくれたのが”朝日のあたる家”です。 彼女、ナネットとどこか似てるのです。 では、また。 See you.
3:47pm.8.jul.2001. from Nashville Neel Okada
Nashville Downtown report vol.6
今夜カーボンデールへ
”南部から離れます”
7時半起床。お腹も減ったのでシャワーのあとミーティング・ルームへ。ここで朝食のパンやジュースそしてコーヒーを仕入れるのです。ところがミーティング・ルームには鍵が掛かっています。フロントへ行き掲示を確認してガ ックリ。月曜日の朝はブレックファーストのサービスがないのです。
フロントにあるコーヒーを2杯持って、途方にくれながら部屋へ戻りました。そして、ナッツの入った缶があるのを思い出しました。シカゴを出るときにナネットが持たせてくれたものです。そのナッツをつまみながら、今メール を打っています。
これから荷造りに取り掛かります。慣れたとはいえ、ナッシュビルでTシャッツを買ったのでまたまた荷物の量が膨れています。チェックアウト後、グレイハウンドのバス・デポに行き荷物を預け、カーボンデール行きのチケットをゲットしてから、最後のダウンタウンに。果たして、うまくチケットをゲットできるのでしょうか?ではホテルから近いミュージック・ロウ地区のミュージック・ストリートのショット(手前の表示板、チェット・アトキンスの名前が)を添えて送ります。 8:40Am.9.jul.2001.from Nashville K.Okada
Nashvilleでの滞在期間で撮った写真はこのページ下部にアルバムとして掲載してます。