USAリポート

NEW YORK Report ※このページ関連の写真はリポートの下部にアルバム掲載してます。

アムトラックで移動

アムトラックアムトラック内の喫煙室

マジソン・スクエア・ガーデン

Blue Note 向かいのライブスポット

D.Bramhallのライブが

J.コリン・ヤングのライブ予定が

ヨウコさん(Blue Note N.Y. にて)

ハドソン河畔でヨーコとウィル

ブルックリン橋をバックに

ヨーコとウィル

ソーホー・エリアの古いビル群

レノンが暮らしたアパート近く

ニューヨークでの食事

イタリアン街でコーヒーを

ストロベリーフィールズで

N.Y.最終日のランチを取ったレストラン前

アムトラック〜ニューヨーク 6.19 シカゴ発

シカゴ 〜 アムトラック 〜 NY 到着までのレポート

Hellow every body !
Are you fine. I'm fine thank you.

 いよいよシカゴ・レポートも最後。今回はニューヨークまでの20時間に及ぶ夜行列車紀行を。
19日夕刻、ナネットとメトラ(シカゴ近郊を結ぶ列車)でユニオン・ステーションへ。
7時出発予定が30分ほど遅れ、トランジットの待合室で彼女と別れを惜しみながら列に並ぶ。バッゲイジを引きづりながらようやく車内へ。
隣は学生風のヤング・レディーで、一生懸命英字(当たり前ですね)を読みながら、牛丼(?)をパクついています。
「エクス・キューズ・ミー」と声をかけ腰をおろすと、ニコっと笑顔が返ってきました。
なにせ車内はクーラがんがんで、夜半寒くてバスタオルを引っ張り出しました。
(荷物が多く、トレーナーなどはナネット宅へ置いてきました)では、この続きは次回に。
                                        from Neel

 皆さんお元気でしょうか。移動のたびに送信トラブルが発生し、僕自身がナーバスになっています。
このメールはニューヨークのホテル・ペンシルバニアの部屋で打っているのですが、旧式の電話でジャックがありません。従って、AOLとアクセス不能なのです。後日、ニューヨーク在住の友人の家で送信する予定なのですが、なかなかOKが出ないのでいらいらして待っているところです。
 今回は夜行列車に乗り込んでからのレポートでしたね。「隣席は可愛い女性でした」という話の続きですが、彼女の名前はアニア。中米あたりの出身と思われますが、アクロバットな寝方をするので翌朝「君はダンサーか?」と聞いたのですが、変な顔をされました。
 なにせ、20時間の長旅ですから「睡眠が第一」と思うのですが、思えば思うほど眠れず、それまでのジサボケに睡眠不足が加算された状態のまま、20日午後2時30分予定より30分早くペンシルバニア・ステイションへ到着。ちなみに、このペンシルバニア駅はあのマジソン・スクエア・ガーデンと建物を共有しています。そしてホテル・ペンシルバニア(ホテル・カリフォルニアではありません)は7thアヴェニューをはさんでマジソン・スクエア・ガーデンのまん前。早速チェック・インをすませ1308号室へ。まず、電話をチェックし、パソコンの接続。
ところが、旧式の電話機でジャックが見当たらず、またまた「Ooh! my God !」
こんな状態で僕はニューヨークで生きていけるのか? 
 以降はニューヨーク・レポートで詳しく。 では See you again。     from Neel Okada

New Yorkレポート 6月21日〜

 Hellow everybody, How are you.
 張り切ってレポートを送るつもりでしたが、P.C接続不能といういきなりのアクシデント。
気を取り直し、まずはニューヨークのエリアを簡単に紹介します。
 西のハドソン・リバー、東のイースト・リバーにはさまれ南北に細長い形をしているマンハッタン島。北端のハーレムから南端のロウアー・マンハッタンと呼ばれる地区まで概ね15に区分されています。ちなみに、僕が宿泊しているホテル・ペンシルバニアはミッド・タウンに位置しています。このエリア内にはエンパイア・ステート・ビル、タイムズ・スクエア、国連本部ビルなどがあり、マンハッタンの中心街と言えるでしょう。
 タイムズ・スクエアーはニュー・イヤー・カウント・ダウンのイベントで知っている人も多いと思いますが、ホテルを出て7thアベニューを2、300メートル北上し、ブロード・ウェイにぶつかったところにあります。到着後歩いてみましたが、とにかく人、人、人。また、雑多な人種が共存するありさまは想像を絶するものがあります。
ニュー・ヨークではナネットから紹介されたヨウコさんと会うことになっています。ところが、第二のトラブル。電話が通じないのです。夕刻、クォーター(25セント硬貨)を用意しロビーの公衆電話に走りました。初めてのコール、クミちゃんの声が天使の声に聞こえました。事情を伝え、関係各位に連絡をお願いした次第。果たして、ヨウコさんと会えたのでしょうか?

 from N.Okada

New Yorkレポート2

 では早速レポートを。
 夕刻、ヨウコさんからホテルへコールがあり「近いのでなんとか8時半にそちらへいきます。ロビーで待っていてください」。ほっとしたのもつかの間、僕の時計はまだ7時15分前。そうなんです、シカゴとニューヨークにはこの時期1時間の時差(サマー・タイムの採用で1時間短縮)があるのです。あわててロビーの時計で確認、腕時計を進めました。
 彼女とは初対面(シカゴ出発前に、僕の顔写真付きメール送信)、不安と期待を抱えながらホテルの前に立ちました。ところが、9時になっても彼女は現れません。玄関とロビーを行ったり来たり、9時15分それらしい女性が僕の前を素通りしロビーへ。あわてて追いかけた僕は「ヨウコさん」と声をかけました。「あー、岡田さんですか、ごめんなさい。遅くなって」。(映画のシーンみたい)
 彼女は福島出身、SIU中条ではナカ君の一年先輩。カーボンデールには行かずニューヨークへ直行「もう4年ほど経つ」と言っていました。そのとき僕は、空腹でもあり低血糖状態でふらふら。
 彼女の「お腹減ったでしょう」の言葉を合図に、9時30分、ようやく僕らのデートがスタート。
ホテルの近くに韓国人街があり「ちょっと高いけどここのビビンバおいしいから」とそのなかの一軒に入り、お勧めの石焼ビビンバをオーダー。恥ずかしながら、僕は苦手なきゅうりを取り去り、特性の味噌をからめ、アツアツのビビンバをかき混ぜ一口食べてビックリ。美味いのです。病み付きになりそうなのです。40分後、韓国レストランを出た二人はかの有名なナイト・スポット?へ。
 以降は次回に(でも、このあとの分はカットしたほうがいいのかな?) See you again.

New Yorkレポート3

 ついつい気を持たせてしまいましたが、皆さんには包み隠さずリポートをお届けします。
 グレニッチ・ビレッジにあるBLUE NOTEに行ったのです。
まだ時間が早かったこともあり、向かいのビレッジ・ブレイク(?)という店に。彼女のひとことでノー・チャージ。(演奏の終わり頃だったこともあるようです。念のため) 地下を下りてドアを開けたとたん、すごいビート。カッコいいギターが鳴っていました。レフティーのギターリスト。すごいのです。ジミ・ヘン真っ青。ベースも、ドラムスもすべてSo Good ! 2曲でエンドでしたが、僕はノック・アウトされました。でも彼の名前も、バンド名も不知。後日調査を。
 店を出るとブルー・ノートの前には列が。その中に日本からのビジネスマンが一人。「今夜はエルビン・ジョーンズですよ」と教えてくれた。ちなみにチャージは、テーブルで$32、バーで$20とのこと。通常のスタートは10時半なのだが、この日のスタートは11時過ぎ。年齢を感じさせない演奏が1時近くまで続いた。「まだ、あの曲(花嫁人形)で食っているんだな」というのが、店を出て最初の言葉でした。
 なお、この辺は”夜間の一人歩きはダメ、タクシーで移動を”とガイド・ブックにあり、確かにそんなありさまで、ストリートの各所に数人がたむろし大声を発している。酔ってふらついている浮浪者風の男も(女も)多かった。
 実は、1日おいた昨日(22日)の午前中、この周辺を歩いてみたのですが、夜の表情は皆無。「同じストリートか?」と思ったほど。また、この辺には「ワシントン広場の夜はふけて」(※)でおなじみのワシントン・スクエアもあり、懐かしさにひかれてスナップを数枚とってしまいました。園内で本を読んでいた女の子に「エクスキューズ・ミー、クッド・ユー・テイク・マイ・ピクチュァー?」と声をかけると「シュアー」と快くシャッターを押してくれました。では、次回もお楽しみに。
       from Neel Okada

※ 36,7年前のヒット・ポップで、演奏はヴィレッジ・ストンパーズ。バンジョーが奏でるメロディーが哀愁を感じさせる名曲、名演。

New Yorkレポート4 6/23 "ジェット・ラグから解放されて"

 早いもので、14日の午後、シカゴのオヘア空港に降り立ってから10日目(23日)の朝です。今、6時7分ほど前(日本は夕方でしょうか)、もう寝ることもできず、起きだしてこれを書き始めました。
 昨日、ようやくジェット・ラグから開放されたようで、夜の10時頃には眠くなり、久しぶりに朝方まで眠りました。”普段の暮らしができる”ことの素晴らしさを痛感しています。
でも、依然メールは不通。実は、メールを送信せずストックしておけることを知らず、レポートの際忘れないように自らの行動を書類の裏にメモっておいたのです。昨日、クミちゃんにその話をしたら「岡田さん”あとで送信”を使えばいいのに」と笑われました。そうです、今やクミちゃんは僕にとって”自由の女神” なのです。
 と、またまた前置きが長くなりました。今回はニューヨーク2日目からのレポートでしたね。

”クラプトンのコンサートが!”

 昨晩のブルー・ノートでの興奮が尾を引き、ベットで一人もがきながらそれでも4、5時間眠ったでしょうか。この日は朝から洗濯。靴下、下着、Tシャッツをシャンプー(洗剤がない)で洗い、クローゼットのハンガーにつるし、クーラーをonにして、9時過ぎにホテルを出ました。
 この日はアムトラックのタイムテーブル(時刻表)をゲットするため、ペン駅に出向きました。既報のとおり駅はマジソン・スクエア・ガーデンと一体になっているので、ふらっとイヴェントをチェックしに寄ったのですが、なん
と今日(21日)から3日間クラプトンのコンサートが。彼が今年で演奏活動を休止することもあって、チケットは
おそらくソウルド・オウト。即、あきらめました。午後になってナネットにコールした際その話をしたら「ストリートでうろうろしてたら、彼に会えるかも」とからかわれました。(もちろん、英語で)

”あのダコタ・ハウスとストロベリー・フォーエバー”は

 駅でボストン行き、とニューオーリンズ行きのタイムテーブルをゲットしたあと、ブロードウエイを北へ歩き、セントラル・パークを目指しました。ところがこの日は断続的なスコールがあって、ひさしのある建物の前は雨宿りの人でいっぱい。その前で「アンブレラ、アンブレラ」と機敏に売り歩く黒人たち。迷っていた僕も「How much」と声をかけてしまいました。折りたたみのジャンプ傘で$5。
 ようやくセントラル・パークにたどり着き、公園の西側をジョンの最後のステージとなったダコタ・ハウスを探しました。やっと、それらしい建物を見つけましたが、表示もなく思いのほか小さな建物で
した。「果たしてこれが?」と疑心暗鬼のまま、雨足に押されるように帰路に着きました。往復、約2時間半のウォーキングでした。ホテルに着きロビーでコーヒーをオーダー。あとは夜の7時を待つのみ。にやついて1308号室へ戻るとメッセイジの表示が(電話の赤ランプが点灯)。またまたトラブルか?
 これまでにも各種トラブルが発生しているのですが、以降のレポートに回します。

New York report Vol.5 6/23 (SAT) am10:00

今、23日土曜日の朝10時を少し回ったところ。今朝9時前にコールしたがヨウ子は出ない。彼女からの連絡を待ちきれずホテルのフロントを訪れ、貴重品を引き出すついでにスタッフに「メールを送れる場所はないか?」と尋ねました。彼女から”Ken.cos./23st.7th.Av"と書いたメモを渡され、早速出かけたのです。ホテルの前が7thアヴェニューで脇が31stですから、8ブロックほど南へ下ったところのはず。5分ほど歩くともう予報どおりの雨が、ショルダー・バッグから傘を取り出した僕はそれをさしながら、聞いたばかりの23st界隈を行ったり来たり。結局、インター・ネット・カフェらしき場所は見当たらずリターン。40分の散歩は終了。「ひょっとすると、彼女からのメッセイジが?」と期待しながら部屋に入ったのですが、残念。このメールを打つ羽目になった次第。

”Well君との出会い”

 今回はニューヨーク2日目夜のレポートを。前の晩、彼女が「明日は7時頃、友達と一緒に来ます。彼はブラザーでミュージシャンなの」と言っていたので” どんな大男か!”と興味津々と待っていました。彼女から20分ほど送れてやってきたのは、175cmくらいの黒人男性でした。愛嬌のある笑顔で型どおりの挨拶を交わしたあと、彼の車に。クラプトンのライブもあり周辺は大変な混みようでしたから、彼の遅刻は駐車に手間取ったことが原因だったようです。
 古いフォード(でもナネットのフォードよりきれい?)の僕はリア・シートに。市街地を抜けハドソン河沿いのウエスト・サイド・エキスプレス・ハイウエイを走り30分後に着いたところはリバー・サイド・パーク(名称は?)。8時を回っても日が落ちない。対岸下流の遥かかなたに自由の女神がうっすらと見え、遊覧船が数隻停泊しています。ベンチに腰を下ろし彼といろいろしゃべりました。勿論、時折、彼女の通訳が必要だったのはいうまでもありません。彼は27歳、服屋さんで働き時折教会で演奏している、とのこと。君のフェイバリットは?と聞かれ「ニール・ヤング。メール・アドレスもすべてニールをつかっている」と僕は答えました。すると彼は大笑いで「ミー・トゥー」と。ウエスト・サイドからウォール街を抜けてエースト・サイドへ移動する間、その話は続きました。ちなみに、彼は「エレクトリック・ギターはほとんど弾いていない」と、また「この前、$1,000以上はたいてアコースティック・ギターを買ったばかりで、ローンがいっぱい残っている」とも言っていました。

(後日注:実はこの辺は現在「グラウンド”0”」と呼ばれているエリア、そうです、僕の帰国した直後に発生したテロの対象となった”ツイン・タワー”の周辺エリアだったんです。)

”ブルックリン・ブリッジの夜景”

 次にシー・ポートのレストラン(ショッピング・モールみたいでライブ・スポットもありました)へ。彼らはカクテルを僕はビールを手にデッキへ。彼がフライド・ポテトを調達してきて、ミーティングが再開。 すぐ目の前にライティングされたブルックリン・ブリッジが見えます。橋の向こうはブルックリン、クィーンズ、ブロンクスなどの区域です。「彼はサウス・ブロンクスの出身で、家族がみんな暖かいの」とヨウ子が言っていたのを思い出しました。
 2年前、彼はヨウ子に招かれ福島へ行ったことがある、という。彼女のお母さんもニューヨークに来たことがあり「このシーポートへ連れてきたの」と彼女は言っていました。取り留めのない話が1時間ほど続き、ビールが空になったのを機に次のスポットへ。

”レゲエとエッチなダンス”

 階下に下りるとレゲエ・ミュジックが聞こえてきました。それもライブ。しばし立ち止まって聞いていましたが、ウィルに促され3人で中に入りました。カウンターに上がったジミー・クリフ風のボーカリストが素晴らしい声で歌っています。僕の知らない曲です。ヨウ子は「私の大好きな曲なの」と言い、僕はラスタファリアン達の熱狂的なダンスに見とれてしまいました。ボウカリストの腰つきに煽られるようにダンスはより激しく、よりエッチに展開していきます。目の前のカップルはセックスそのもののような接触の仕方です。と、そのときそのはちきれそうなボディの女性が僕に「踊ろう」と。半ば酔っていた僕は何気なく応じ、さっきまで一緒に踊っていたドレッド・ヘアーの男を真似て、彼女の尻に自分の腰を押し付けてしまいました。あっという間の出来事で、ウィルとヨウ子はあっけにとられていました。
 30分ほどいたでしょうか、店を出たとたんウィルが大笑い。「ホテルに戻っても思い出すだろう」とからかい、ヨウ子は「恥ずかしくて見てられなかったわ」と言います。僕は「フォゲット・ナウ」と応じました。エッチなダンスは別にしてもミュージックが、ダンスがこんなに楽しいものとは。
 「もう一軒行こうか」というウィルのお誘いもありましたが、ようやくジサボケが回復し、スリーピィーになっていた僕は、「ホテルへ」とリクエスト。別れ際、ウィルが「ニューヨークにいる間に、やりたいことがあるか?」と聞きました。僕は迷わず「ニューヨークで歌いたい!」と素直に答えました。「25日(ニューヨーク最後の夜)に新人が誰でも歌える店があるのでそこへ行こう」と。なんて素敵な奴だろう。「ユー・アー・グッド・ガイ」「グラッド・シー・ユー」と心から思い、それを彼に伝えました。

New York report Vol.5 6/24

今日は24日で日曜日、といっても今の僕にはあまり関係ないのですが。とにかくニューヨークに来てからずっと雨模様、昨日も断続的なスコールが一日中続きました。今度こそ、と昼少し前に出かけた「ダコタ・ハウス」「ストロベリー・フィールズ」でしたが、たどり着いたものの、帰路すごいスコール。とうとう我慢しきれず、ブロード・ウエイのレストランに飛び込み遅い昼食。大き目のハンバーガーにはチキン、レタス、トマトが挟んであって「2個も食えるかな?」と心配しつつペロリとたいらげました。添えてあったサラダも美味、初めて味わうドレッシングとのマッチイングもグッド。コークとあわせ$12也。そこで、ついでながら、ここ2、3日取り立てて書くこともないので、現在の僕の「食」についてのリポートを少し。

”惣菜屋のおばさんにバカにされ?”

 ジェト・ラグから開放された一昨日あたりからは、朝6時過ぎ目がさめるようになりました。メールを書き込んだりしながら8時になるのを待って、朝食を仕入れにロビーのコーヒー・ショップへ下ります。ちなみに昨日は「ドーナッツ」「パック入りフルーツ」「コーヒー」(いつもはフルーツなし)というメニュー、これで$6。
 昼食ですが、昨日のように街のレストランに寄ることはまれです。半日単位で動いていますから、一旦ホテルへ戻るので、途中にある中華(?)の総菜屋さんに寄って「やきそば」「ライス」「野菜炒(風)」「手羽の甘辛煮」などをチョイスしテイク・アウト、部屋で「味噌汁」(もち、日本から持ち込んだものです)と一緒にいただきます。ホテルに近いこの店、テイクアウトを頼むとおばさん(会いたくないのですが、昼も夜もいつもいるのです)は「ソーダーはいらないのか?」とにらむのです。「ノー」と$5、6払って出てくるわけです。( ※添付写真はそのテイク・アウトしてきた昼食のスナップです)

”意外にに美味しかったピッツァ”

 それから、意外なほどおいしかったのが前記惣菜屋隣のお店のイタリアン・ピッザでした。今日(24日)の午後「もうあの店(中華の)には行かない」と堅く誓ってはみたものの、ピッツァはそれほど好きではない。でも思いきって、入った僕は小海老のフライがのっかったピザを指差し「ワン・オブ・ピース、プリーズ」と。それとスパゲティーにチキンをのせトマト・ソースをかけてもらい「テイク・アウト・プリーズ」と頼んだ。大きな焼き釜に入れて10分後、ガーリックの効いたパン2個を添えてもらって店を出た。しめて$10.5也。当然ながらこれはその日の夕食も兼ねたものでした。
  僕の食事はこんな具合で、好き嫌いのある割には「ちょっと、食べすぎかな?」と思えるほど食っています。その分、しっかりニューヨークの街を歩き回ることでカロリー・バランスをとっているつもりなのですが?

”インターネット・カフェ”

 結局、ニューヨーク・リポートを送れないままここまで来ました。実は僕なりに焦っていたのです。そして、24日午後インターネット・カフェを探しに出かけてきました。
 「Easy Everything」というロンドンから上陸した1号店です。ガイドブック掲載のとおり、ホテルから10ブロックほど北へ行った42stにありました。
800台ものP.Cが並んでおり、70%の席が埋まっていました。$1でチケット(書かれているキー・アドレスでアクセス)を購入し奥へ。ところが、事前にクミチャンから聞いたとおりalo.comと打ち込み、自分のアクセス・コードを打ち込んだが先へ進めません。30分ほど悪戦苦闘しましたがギブ・アップ。送信はボストンから、ということで。
"I'm sory, Kamisori !!"

New York report Vol.6 6/25

 25日の朝。珍しく晴れ渡ったニューヨークの空。今宵一夜のニューヨークをどのように料理するのか?それが問題です。 前述のとおり、ウィル君が”僕も歌える店”へ連れて行ってくれる予定なのですが、ヨウ子さんからの連絡はなく、半ば以上あきらめの心境でボストン行きのティケットを買いにペン・ステーションに出かけました。

”切符売り場の黒人のオバサンはいらいら”

 前に紹介したように、マジソン・スクエア・ガーデンの地下がペン・ステーションになっています。勿論初めて買う切符、何回も周囲をうろつきました。この日は、明日からのボストン以降、ニューオリンズまでの列車を調べ、メモを書いてでかけました。
 多数の自動券売機があるのですが、今朝もバッグを担いだおじさんが30分もこのマシンの前で苦しんでいるのを見てしまい、売り場の列に加わることにしました。
 20分ほど待って窓口に立ちメモを出しました。黒人のオバサンが何回となく「フィラデルフィア、ニューヨーク」と繰り返します。僕が指定したボストンからの列車はニューヨーク止まりなので、ニューヨークからは普通列車で、と書いたつもりでした。僕にも彼女の言いたいことはわかるのですが、どう答えたらいいのかアイ・ドント・ノー。彼女のイライラが伝わってきます。結局、一列車遅いボストン発特急の最終列車を彼女は選択してくれました。こ
れだと直通で、夕方5時にボストン発、フィラデルフィア着が10時過ぎ。ホテルのチェック・インが遅くなるけど、まあいいか。

”あのソーホーへ”

 ソーホーといえば前衛美術のギャラリーやファッション・ブティックなどが立ち並ぶエリアとして有名です。ソーホーという地名は”South of Houston"の略称で、ハウストン通りから南の地区を指すようです。前に紹介したグリニッジ・ビレッジからもう少
し南に下った位置にあり、今日も5thアベニューを通りワシントン・スクエアを経由してソーホーに入りました。途中、サイモン&ガーファンクルの歌でおなじみのベイカー・ストリートを抜けハウストン通りに出ました。
 元々この地区は農業地帯で、後に19世紀中頃、工業化の波によりイギリスから持ち込まれた「カースト・アイアン」と呼ばれる、鋳鉄による建築技法による建物が多く残っており、法の保護をにより景観を保護している地区でもあるのだそうです。実際通りに立って、鋳鉄製の柱などを触ってみましたが、その外観といい独特な雰囲気があります。この、天井の高いつくりの工場が撤退したあと、このロフトと呼ばれる廃屋に住み着いたのが芸術家達で、独特な文化を形成した背景になっています。なお、近年高級ブティックの進出など商業化が進んだことから、土地の価格が高騰し、芸術家たちには住めないところになった、とガイド・ブックには書いてありました。
 ※ この周辺の景観が気に入り何枚か撮ってしまいましたが、そのなかからスナップを選びました。

ChicagoからNewYorkのアムトラック内のショットとニューヨークでの滞在期間で撮った写真はこのページ下部にアルバムとして掲載してます。




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女子大生アニータさん

列車の喫煙室で

偶然、D.BRAMHALLのライブに出会う

J.コリン・ヤングのライブ案内も

今夜、クラプトンのライブが

ウォール街近くのハドソン河畔で

ブルックリン橋をバックに

ヨーコとウィル

グリニッジヴィレッジで

イタリアンレストランで

N.Y.の騎馬警官

ダコタハウスを探して

ストロベリー・フィールズ

ダコタハウスを探して

バードランドにて

アビーロードではありません

イタリアン街

ソーホーエリアの落ち着いた街並

カーストアイアンによる古いビル群

5番街だったかな?

ライブスポット、ボトムラインが

N.Y.最終日

ペンステイションからボストンへ

ボストンへ向かう車窓から

ボストン着